9月から福島民報の「民報サロン」に全6回、コラムを書かせていただきました。
たくさんの方から、新聞読んでますと声をかけられました。
読んでいただき、食堂つきとおひさまに興味を持っていただき、
大変嬉しく思ってます。
長いのですが、読んでいただけたら嬉しいです。

2020年もありがとうございました。
来年も楽しくおいしい一年にいたしましょう
よろしくお願い申し上げます。
2020.12.28

店主 五十嵐加奈子

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「会津暮らしのはじまり」
 
山に囲まれた北塩原村生まれの私は、高校生までこの地で暮らし、卒業後上京する。学生の頃の私にとって、会津は何もなくてつまらない街だった。“早く大人になりたい、この街から飛び出したい!” とばかり願っていた。東京に行けるならなんでもいい、それが私の高校3年生時の進路希望。その時にたまたま出会った東京池袋の調理師専門学校の先生から、「学校も仕事も寮も協力してあげるよ」とのお誘い。当時、まったく料理に興味のなかった私だったが、東京に行けるという想いが叶えられることにただただ興奮していた。のち、調理師専門学校の夜間部に入学。そこからカフェの業種に惹かれていく。田舎者の私にとって、カフェの空間はまるで絵に描かれた理想の世界。“この景色の一部になりたい!” 東京にいた16年間は、大変ながらもカフェの魅力にどっぷり惹かれ浸かった。

“自分のお店を持ちたい!” と思うようになった時、選んだ場所は、自分でも信じられない故郷「会津」。きっかけは結婚。会津を初めて訪れた主人は、懐かしさの残る街並みや地方ならではの人の繋がりを気に入り、16年ぶりの故郷を私は見直すことになる。
そんな時に東京で出会ったのが、会津の良いものを伝える小冊子「oraho」。著者は会津坂下町出身で東京に住む女性。その女性が“生まれてくる子に故郷のいいものを伝えたい、残したい” という想いで創刊した冊子を初めて目にした時の衝撃を今でも覚えている。さらに、興奮冷めやらないタイミングで、たまたまその彼女に出会い話しをすることができ、興味のなかった故郷が、彼女の言葉を通すことで、ステキで行きたいまちへとガラッと印象を変えた。実直な職人、愉快な商売人、雪深いこの土地だからこそ生み出される伝統工芸。実際に、会津の想いの詰まったものづくりの場を訪れてあらためて感動し、のちにお店の取引先となる。そんな再発見の出来事に後押しされ、会津に住もうと決めた私は即行動。移住計画を進めて最初に見つかった元豆腐屋だった物件が今の店舗。一目惚れして、こちらも即契約、引越しと、とんとん拍子に決まっていく。そんな折に起きた東日本大震災。『福島』に行くことに周囲からは心配の声をかけられ、とても悩んだ。でも、”私に何か出来ることがあるかも知れない” と、再び動き出し、震災後の3月末には、いろいろな人の助けを借りて、喜多方に移り住むことができた。そこから1年かけて、自分たちで築60年の空き家だった古民家をリノベーション。主人は美大出身、両親は水道屋、大工の友人、庭師の親戚と、幸運な人の繋がりに助けられ、お金をかけずにコツコツと思いを込める。東京時代の友人が何人も助っ人にも来てくれた。準備は進み、『食堂つきとおひさま』は2012年4月にオープンを迎えた。
オープンまでの準備期間は、目まぐるしく過ぎていく中、人との出会いや会津の良さを噛みしめる時間でもあった。このまちで暮らす幸せな未来を想い描く。ここに私がいる意味があると信じはじめた。

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「古き良き景色の魅力」

喜多方と言えば『蔵とラーメンのまち』。高校生の頃、このまちで過ごした青春時代、喜多方ラーメンはおやつのような存在で、蔵の街並みは当たり前の通学路。その頃の蔵のイメージは土臭く、やんちゃなことをした時に怒られて閉じ込められるお仕置きの場所。そんな記憶をたどりながら、大人になった私が、夫と並んで歩いたこのまちは、ひとつひとつの蔵や建物、路地裏、裏道、野良猫と目が合うことさえも魅力的で、懐かしさと愛着みたいなものを感じるようになりました。まったく興味のなかったまちが、輝いて見えた瞬間です。

夫が初めて喜多方に訪れた時、今でも印象に残ってる言葉が「ポテンシャルがあるまちだね」。そう、素直に感じてくれた言葉を嬉しく思いました。その時からすでに10年近くの時間がたちましたが、今でも喜多方を初めて訪れる人が同様の言葉を語ることがあります。喜多方の魅力の中には、まだまだ眠っている部分があるようです。

お金をかけて商業化したり、建物を壊して新しく作り直された場所では、どこにでもあるありきたりな風景に感じることがあります。それに比べて、このまちには今もなお、訪れた人にとって懐かしさを感じたり、他にない景色として感じてもらえるまちなみが残っている。その景色はもっと活かすことができる!
近年、空き家問題に対する危機感が広がり、喜多方の街中でも古い建物を壊し更地にしている場面に出会うことが増えてきました。古い街並みが消えていくことに危機感を感じている人もいると思います。古い建物で生活をするということには、もちろん不便があり、私達が住む築70年の民家での暮らしで初めて知ったことがたくさんあります。長雨のあとの雨漏り、雪の重みで障子扉が開かない、隙間風は日常で、でもその時々で工夫しながら知恵を絞って考える、建物と一緒に四季の変化を受け入れる。実は本来の日本人の暮らしに近いのかもしれません。
旅好きの私たち夫婦が訪れてきた、古き良き街並みを活かしている元気な土地(盛岡、日光、倉敷、金沢、尾道、など)、自分たちが心地良いと感じた場所に共通するのは、古いものに少しの手を入れて魅力あるものに再生し、土地に伝わる知識・経験と、よそ者・若者の新しい発想が良いカタチに混ざり合い、それが横に広がっていること。
そんな旅の中に散りばめれたヒントを喜多方に当てはめてみると、私達が引っ越してきた10年前に比べて、このまちには個性的で若い力のある個人店がたくさん増えてきました。名物的なお爺ちゃんやお婆ちゃんも健在で、たくさんの歴史や知恵を教えてくれます。このまちに住んでいた人や、この土地の木材で作られた建築、喜多方の職人の想い、古い建物に宿るこのまちの暮らしの気配とともに、できることならば、残していきたいと思うのです。新しいものばかりに目を向けるのではなく、何に価値を持って行動するのか、どんな時に豊かさを感じるのか、このまちの時間を積み重ねた魅力を変わらず「好き」と言い続けたい。このまちには、まだまだポテンシャルがある、そう信じています。

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「原点とその先に」

会津に移住するずっと前、どっぷりと、体も心も全力を尽くし働いたカフェがあります。東京代々木、ドコモビルがそびえ立つその脇、昭和15年に建てられた2階建ての木造の民家。2階がデザイン事務所、1階がカフェ。そのカフェオープンの立ち上げから店長として携わり、店をはじめる準備、カタチにする、継続していくことを学びました。メニューを考え試作する日々はとても楽しく、素晴らしいスタッフにも恵まれ、順調にオープンの日を迎え、ワクワク胸を踊らせました。ところが、お店は路地裏にあるため、分かりづらく宣伝不足もあり、お客様がパラパラ、閑古鳥の日も続きました。そんな時、オーナーが「ペルノ」というお酒をお店で出したいと持ってきました。そのお酒は15種類のハーブ(薬草)、八角やコリアンダーとクセのある匂いのするものでした。私は飲んだ瞬間、「うわっ、まずい」の一言、薬を飲んでいるような独特のお酒。色は黄色く、アルコール度数は40度、お店で提供しても大丈夫だろうかと疑問に思いましたが、メニューに登場。もちろん、お客様にどんなお酒なのか質問されます。独特なお酒でびっくりします、香りも味も強烈です、などと説明すると、怖いもの見たさで注文される方がちらほら。お客様の反応を見たいと話しかけ、会話が弾みます。このお酒好きですという人が意外に多く、クセになります、という人もいて、私の中で人の味覚の幅が広がった出来事でした。それと同時に、自分のお店だったらどんなものを表現してもいいんだと、新しい気持ちが芽生えはじめます。そのカフェで働き過ごした3年間はオーナーの、人との出会いを大切にする想いと、思いつきとフットワークの軽さで開催された企画に驚かされることが多く、お店が映画館になったり、古道具屋になったり、美術館のように絵画が飾られたり、今では普通のことかもしれませんが、15年前の当時は話題を呼び、たくさんのお客様に、カフェだけではなく、イベントを楽しめる店として注目され、行列のできるお店になっていくのです。その変化の過程を間近で経験でき、今思うとその場所は、私の原点なのだと思います。
食堂つきとおひさまはオープンして9年目。まさにオーナーから引き継いだ、人との繋がりを大切にする気持ちが私自身の中でも膨らみ、数え切れないほどのイベントを企画運営してきました。全国各地からゲストを呼んでのトークや食のイベント、このまちにないものをと洋服や雑貨の販売イベント、映画館がないからと映画の上映会、音楽イベントも開催しました。2013年に羊毛とおはなのお二人、2016年には二階堂和美さんを迎えて、この小さなお店でLIVEを開催できたことは忘れられません。大好きなアーティストや来てほしいゲストにオファーする時は手紙を書いて、喜多方の街のこと、お店のこと、お客様に届けたい想いを伝えます。行きます!と返事をもらった時には嬉しすぎて小躍りです(笑)。どんなイベントでも参加者、ゲスト、主催側も記憶に残るいいものにしたいと思います。そのために出来ることは精一杯、楽しんでもらえるよう尽くします。たくさんのイベントの中で、出会った人からまた新しい企画が舞い込んでくる。そんな良い流れは今もなおつながっています。面白そうな店があるから喜多方に行こう、そう皆さんに思ってもらえたら嬉しいです。

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「おいしい出会い」

東京暮らしで「食」の仕事に携わってきた16年間、その間の食材の仕入れ先は、業者さんが市場から持ちこむ野菜、スーパーなどの店頭に並ぶものがほとんどで、それが当たり前と思っていました。ある日、北塩原村の実家の畑で採れた春菊がたくさん送られてきて、その時お店のメニューに出していた「春菊のアーリオ・オーリオ」に何気なく使ってみたところ、それはまったくの別物。すこぶるおいしい!味が濃く、えぐみがなく、春菊そのものの味が生き生き、旬のもの、畑から直送の野菜はこんなに味が違うものなのかと衝撃を受けました。東京では、いつが旬なのか忘れてしまうほど、色とりどりの野菜が常に並びます。いつでも欲しい野菜を手に入れることができる、そのことに少し不自然さを感じ始めたのはこの頃かもしれません。
自分のお店を始めようと故郷に戻り、そこで改めて味わう採れたての野菜、お米にお蕎麦、乾物、漬物、梅干しなど、どれも新鮮で、そしておいしい。それが当たり前にあることがどんなに幸せかと感じるのです。旬の食材を前に心が踊り、私の生業とする料理をさらに楽しくしてくれます。畑が近く、人の繋がりが深いこの土地で「食」の面白さを知りはじめると、おいしいたべものはもっとないかと探しはじめ「調味料」にたどり着きました。
水の豊かな会津では、お酒だけでなく味噌、醤油といった醸造の文化も継承されています。「食」に大切な「調味料」。一般にお店で手に入るものの一部には、現代の「食」事情に合わせた工夫の一つとして、化学処理や添加物によって色や味の調整、長期保存を可能にしているものもあります。添加物を使わない製法を用いる場合、手間と根気、長い時間をかけて作られるものが多く、その分値段にも反映されるのですが、会津で出会った、こだわりの製法と手間ひまをかけて作られた調味料は、私の中に大きな影響を与えています。会津の丸大豆と小麦と塩、3つの材料のみを使い、丁寧にじっくり作られた木桶仕込みの天然醤油。熟成発酵により時間をかけておいしくなる味噌。昔ながらの玉締め圧搾法で搾り、手間と時間と愛情をたっぷりかけて作られた菜種油。おいしいだけでなく、体に負担のかからない調味料で料理することは、自信を持って食を表現できることにつながっています。素材そのものを活かし、シンプルに調理するだけで、人を感動させられるのだと知ったのです。
食材を選ぶとき、どんな素材で、製法で、どんな人が作っているのだろうと想像して、それを知って選ぶのと、知らずに選ぶのとでは、食べることの意味や気持ちにも違いがでてきます。
たくさんの出会いをきっかけに、私の暮らしにも変化がありました。自分で発酵食や調味料を作り始めています。味噌、醤油、塩麹、糠漬けに梅干し、もちろん不出来な年もありますが、失敗から学ぶものが大きいことは作ってわかる醍醐味です。手間ひまかけて暮らす、まめまめしい日々は、おいしいとしみじみ感じる豊かな時間です。記憶として残るような「食」に、これからも出会えたら良いなと思います

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「いとおしいものたち」

いつからか、身の回りのものを選ぶとき、手仕事のものを選ぶようになっていました。古いものが好きで集め使っていたことも、考えてみると、昔のものはどれも、人の手で時間と手間をかけて作られてきたものだからと気づきます。なぜそういうものに惹かれるのか、深く考えたことはなかったのですが、ある人の言葉で、すとんっと附に落ちました。哲学者の鞍田崇さんが提唱される民藝の3つの価値観、「機能性」「美しさ」そして「いとおしさ」。この3つめの「いとおしさ」、言葉にできない愛着が宿るものに私達は惹かれるのだと気づきました。
お店のギャラリーで企画展を多数開催する中で、古道具や手仕事の作家ものを多く扱うようになってきたことも、「いとおしさ」を感じるものを多くの人に届けたい、毎日の生活の中に小さな喜びを感じてもらいたい、そんな気持ちが強くなったからです。
先日、お店の企画で「かごとほうき展」を開催しました。東京国立市で世界の手編みカゴを集めて販売しているカゴアミドリさんとご縁があり、長野県松本ほうき、茨城県つくばほうき、手編みカゴを喜多方で紹介、販売するという持ち込みの企画で、実は最初、『この時代にほうきに興味を持ってくれるお客様がどれくらいいるだろうか』と悩みました。でも、その不安は、前日に持ち寄られたたくさんのカゴとほうきが展示スペースに並ぶ美しい景色を見た時に吹き飛びました。実際にたくさんの方が訪れてくださり、販売はもちろん、職人による実演、試し掃き・ほうき作り体験、そしてお話会も盛況となりました。お話会では、この時代のほうき職人として生業を成り立たせることや材料にこだわりながらより良い品質を目指す難しさ、そんな大変な作業や手間隙をかけながらも作り手としての心の充実、誇りを持ってものづくりをされていることが伝わってきて、そんな職人の作ったほうきを、とても「いとおしい」と感じました。大量生産による安価なものや、便利で機械化されたものからは得がたい感情だと思います。
たった2日間の開催でしたが、暮らしに寄り添う道具としての魅力や職人の生き様、背景を届けることができた豊かな時間となりました。今回の展示で私が手に入れた長柄ほうきは、軽くてしなやか、ホコリが吸い付くような気持ち良さで、掃除の時間がいつもより早く楽しくなりました。あの日、大事そうに柄の長いほうきを抱えて帰ってゆく人々の姿はいとおしくて美しく、持ち帰った箒を手に鼻歌混じりに掃除をしている風景を想像して、またそんな出会いをお手伝いできたらと思います。
自然に恵まれた日本では、その土地土地で生まれた手仕事がたくさんあります。興味を持つこと、良さを理解すること、長く愛されるものを暮らしにとりいれること、そんなひとつひとつを積み重ねることが、きっと未来に繋がっていくと信じています。

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「親の愛、子供の愛」

仕事に明け暮れていた20代の頃、自分が母になる、子どもを育てるということを全く想像していなかったように思います。お店に来る子どもたちの中には、ガラスの戸を叩いたり、走り回ったりと力強く動く子もいます。私がまだ子どもを授かる前、「なんとやんちゃな生き物なのだ」と驚き、ただただ呆然としてしまう時がありましたが、物事はなんでも経験して分かるものです。6歳の男の子と
5歳の女の子、ふたりの子の母になった今、来店した子どもに対しても、怪我をしたり危険なことでなければ「どんなことをしてもいいよ」と言える自分がいます。そんな気持ちがうまく伝えられているかは分かりませんが、お店には子ども連れの親子や家族がよく訪れてくださっています。
お店に立ちお客様を迎えること、料理することを生きがいにしてきた私にとって、妊娠から新生児、そこから幼児期の育児は言葉にする以上に大変で、心も体も上に下にと大騒ぎ、自分のやりたい仕事がとにかく全く進まない。それまで当たり前のようにスムーズに進んでいた毎日が、子どもが生まれた途端、滑稽なほどにストップされる。それでも、欲を貫こうと試行錯誤して最初はがんばってみましたが、日々試練は積み重ねられ、もうお手上げ。ところが、諦めることを覚えると、自分の中のこだわりや意固地になっていたことから解放され、おおらかに物事を考えられるように私自身が成長していったのです。凝り固まって尖った自分を、まあるく撫ででもらったような感覚、それが不思議に心地が良いのです。子どもからこんなに求め信じてもらえる。親の愛情より、子どもから親への愛情の方がずっと大きい。そんな愛を毎日受け取っていると、日々を頑張ろうと意欲がムクムクと沸いてきて、母であることはなんて素晴らしいことなんだろうと改めて思います。
最初はとにかく子育てに必死で周りが見えなくなっていましたが、どんどん成長して手のかかることが少しずつ減り、言葉を覚えて会話ができるようになってくると、どんな子になって欲しいか、何かできることはないかと考えはじめました。ありがたいことに、価値観を共有できる友人や、食も遊びも子どもにとって心地良い方向へ導こうと一生懸命なお母さん達との出会いに恵まれ、子育てに鈍感な私を少しずつ目覚めさせてくれたのです。太陽の下、土や水、木々や草花、虫と戯れ、大地をしっかり踏みしめて自然と共に生きることを小さい時から体験させる。自然の中で遊びを探したり、野菜や米の生育を一緒に観察する。収穫をして手作りのご飯を一緒に食べ、人は命をいただき、生きていることを伝えていく。子どもたちがのびのびと遊ぶ姿は、なんと清々しくしてくれるのでしょう。
子供と向き合える時間には限りがあります、。いつか子どもたちが自身の道を歩んでいく時、私がそうであったように、子どもの頃に体験した原風景を思い出して何かの支えになることがきっとあるはず、そう思っています。自分たちが何にこだわり、何を大切にしているのか、一緒にいられる時間をできるだけ大切に丁寧に過ごすことができれば、きっと想いは紡がれていくと信じています。